あの頃のファミ通編集部が明らかに?

1986年に創刊された『ファミコン通信』。やがて愛称『ファミ通』が正式名となり、今では唯一の週刊ゲーム情報誌だ。これは創刊3年目に入社した著者、田原誠司が綴った体験記である。

あらまし

彼が大学を休んで帰省する理由を親に尋ねられた際、「ファミコン通信で働く事が決まっている」と嘘をついた。履歴書と「俺を採用しないと後悔するぜ」といった趣旨の手紙を編集部に送りつけていたのみで、採用など決まっていない。当時は募集すら行っておらず電話など鳴るはずないのだが、鳴った。

あれよあれよのうちにアルバイト入社が決まり、PCエンジンソフト『めぞん一刻』を渡される。ゲーセンと呼ばれるゲーム機が並べられた部屋で、初仕事にとりかかる。クリア後、ナカジさんに渡された「ファミコン通信辞書」の表紙にはこう書いてあった。

「すべての記事はおもしろくなくてはならない」

この一文が、ファミコン通信編集部にいることを強く実感させられたという。

その後はおつかい係や初ボツ、初入稿、『究極ハリキリスタジアム 平成元年版』の紹介文、毛利名人と共に挑んだ『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』、クロスレビューなどを経て契約社員へ。さらには攻略本編集部の誘いがかかり、田原が中心になって7人の編集部がスタートする。第一弾となった『シャイニング・フォースII 古えの封印』は、周囲の予想に反して初速の売れ行きは絶好調。初版部数を渋った営業部に怒鳴り込むにいく、田原の姿があった。

読んでみて

成長期のファミ通信編集部を、新人社員という視点から「おもしろく」描かれている。それも当事者ならではのゼロ距離描写で、あたかもその場にいるような印象が最後まで続く。出版業界ならではの体験談や説明も興味深く、懐かしさと同時に知識欲も満たす内容だった。

Ungaahhhh レビュー

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